仏教講座 第8期『聖徳太子と三経義疏』

 

仏教講座8期 チラシ.PNG

 

第8期、開講します。

 

いつも応援くださりありがとうございます。

人間禅創始者耕雲庵立田英山老師の著『人間形成と禅』を読む助けとして、

また布教の任に当たられる方と、基本の仏教知識を共有するために始めた仏教講座です。

 

今月25日(日)から、第8期が始まります。

もう8年目か・・・と自分でも驚いております。

 

昨年は室町初期の天龍寺開山であり、後醍醐天皇と足利家の敵味方双方から師と仰がれた夢窓国師と、

足利尊氏の弟である実質幕府の実勢者であった弟直義公との問答『夢中問答』を読んでまいりました。

 

順境逆境が激しく入れ替わる戦いの時代。

誰を滅ぼすべきか、誰の見方をすべきか、

生かすべきか、殺してしまうべきか、

今は行くべきか、耐えて待つべきか、

対立する政策は、自分が正しいのか、相手が正しいのか、

実行すれば、自分か相手か、誰かが死ぬとわかっていても実行すべきか否か、

どうしたら間違った判断をせずに、人々の幸いを守れる政道を行くことができるのか・・・

 

こうした切実な問いに、夢窓国師は2年をかけて、禅の境地から答えていきました。

直義公の問いは、日本の頂上で舵取りをしている政治家の問いではありますが、

私たちの人生の問いと相似形であって、根本は何も変わらないものでした。

そこに、禅を極めた国師が、世俗の判断で揺れ迷い苦しむ直義公を、真理からの判断を示して

厳しくあたたかい導きをしていったのでした。

結末を知っている身としては、時に読むのが耐えがたい気持ちになる物語でもありました。 

 

ですので、私の昨年7期は、室町初期の激動の時代を1年生きたように思います。

100キロ超えの猛スピードで、次から次へと現れる障害物を必死に避けながら、

全身全霊をかけた集中力でハンドルを握る直義公を、隣の席で見ているような思いでおりました。

最後はもう車はボロボロでとうとう大破してしまいました。

どんどん傷ついていく姿を見ていて本当に悲しかったです。

後醍醐天皇も、楠木正成も、時代の突然変異のようなバサラたち、高師直も、そしてやがて尊氏も・・・皆滅んでいきました。

歴史の事実は知っていても、どうか夢窓国師のお示しを今一度思い出して、生き方を間違わないで!と思わずにいられず・・・

心はもうどっぷり太平記の世界におりました。

 

そして、夢窓国師のお教えを、直義公の背中越しに同じ部屋の隅の方でひっそり拝聴している気持ちでした。

なんてすごい禅師だろう、と毎回恐ろしさと有難さとでいっぱいになりました。

身に余る大切なことをたくさん教えていただきました。

本当にありがとうございました。

 

そして今期です。

今度はなんと奈良に参ろうかと存じます。

 

7年前、お釈迦様は何を覚られたのか、というところから始まり、

大乗仏教を起こした仏教者たちの情熱に感動し、

龍樹の『中論』や『天台小止観』で仏教の科学に違背しない優れた理論に驚いたり、

大乗仏教の聖典たち、『般若心経』『華厳経』『維摩経』などを読み、

めくるめく経典のイマジネーションあふれる世界に夢見心地になったり、

中国の禅『六祖壇経』を拝読することで、禅の修行者の端くれである身としては、

六祖のお説きになる一言一言に心臓を握られるような緊張でいっぱいになったり・・・

 

そんな7年を経て、

今回は、奈良、です。

今、どっぷりはまってます。

なんだか奈良時代って、キラキラしてます。

もちろん血なまぐさいこともたくさんありますので、キラキラなんて言うと批判の矢が飛んできそうですが、

それでも黎明期の無垢さが感じられて、前回の暗い苦痛が少し救われます。

 

これまで仏教がインドから東漸してくる様子を学んできて、

いつかは日本が仏教という初めての思想に出会って、驚き迷い悩みながらもそれを生かそうと決心した、

その原点に触れてみたいという気持ちはずっと前からありました。

そして一応ざっくりとは歴史も知っているつもりでしたが、今こうしてあらためて学び始めてみますと、

古墳時代の終わりから飛鳥時代にかけての日本がいかに特異な状態であったか、想像を遥かに超えた興味深さでいっぱいです。

 

 まずこの時代、自然に「開国」しています。

奈良朝の政治家は誰でも中国や朝鮮半島の歴史は即日本の問題として直結しているもの、と普通に認知していました。

実際に渡来人が日本で果たしてくれている役割は大変大きいわけです。

当時の日本にとっては彼らがもたらすものは皆高度なものであり、学ぶのが当たり前、取り入れるのは必至でありました。

聖徳太子の祖父にあたる欽明天皇は、朝鮮半島南部の任那を失ったことを死の直前まで悔やみ、遺言として取り返せと言ったくらいです。

この拠点がないと、政治的に文化的にも日本の将来が進んで行かないのだと、誰もが思っていたのです。

こんな時代がこの後あったでしょうか?

 

 実に国外に開かれた日本だったということに今更ながら驚いています。

そんな中で、当時の最先端文化である仏教を取り入れ、国の礎としていこうという見識を実行に移したのが聖徳太子だったわけです。

 

ここで聖徳太子がいたのかいないのかなどの議論もありますので、今回の立ち位置についてご説明いたします。

本当にいたかどうかは今での決着のつかない議論ですが、ただ、仏教を取り入れて国家を作ろうとした人々がいたことは事実です。

『三経義疏』自体も、太子が著したのは3つのうち『法華義疏』だけであると言われたりしています。

しかしこれも、当時(もっと後かも、という説有り)誰かが書いたことは事実なわけです。

従って、誰という議論に巻き込まれずに、すぐれた書物ということは周知のことですので、そこを学ぶことを大事にしたいと考えています。

学ぶときは、経典の本文を誰がどう読み取ったか、と知ることで学問は進んで行くものです。

特にこの三経は大乗仏教経典の中でも主役級ですので、良い解説書を読むことは私たちの為になりますし、

解釈の中に、私たち日本の黎明期の思想、そして仏教をどう解釈したから国教に踏み切ったのか、も読み取れると思います。

 

そして何より聖徳太子が仏教によってこの国は豊かになる、世界は安らかになる、人々は幸せになる、となぜ確信できたのかを学びたいと思うのです。

太子の悟りを学びきれずに日本はその後平安・鎌倉・室町・戦国と戦いの時代を経ていくことになりました。

それでも、親鸞聖人のように、太子を敬愛して太子の思想を蘇らせようとした方もいらっしゃいました。

私たちの世界は太子の時代から1500年を経たにもかかわらず、争いも止まずにいます。太子の祈りはいまだ実現していないと言わざるを得ません。

 

ぜひ我が国最初の思想家に立ち返り、あらためて今を考えていく機会にしませんか?

もちろん、楽しく興味深い歴史もいろいろご紹介していきます。

ご一緒に勉強できましたらうれしいです。

今年一年、どうぞよろしくお願いいたします。 

合掌 笠倉玉溪

 

 

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いよいよ『夢中問答』は最終回を迎えます。といっても3分の1も終わっていません。あまりに素晴らしいので、必ずまたやりたいと思っています。

でもいったんこの問答の結末をみていきましょう。

 

 

室町初期の激動の時代。その頂点にいる足利尊氏の弟直義公と史上他に誰もいない8つの国師号を賜った夢窓国師との問答の記録を読み解いてきました。

人は順境・逆境に渦の真っ只中でどう生きればよいのか。

 

国師の答えは「怨親平等」。

怨は逆境、親は順境。これが等しいとはどういうことか。

怨でもよし、親でもよし。ありのままを受け、怨親に揺らがず、自分を主体的に貫く・・・そこに覚悟を置く。

 

さて、この問答は当時から書き記され巷で大変なブームになり、江戸時代になっても読み継がれたものでした。

今は戦乱の世ではないけれど、人生にはやはり順境も逆境もあるのです。

どう生きれば自分らしく後悔なく生きられるのか。

今も昔もない、真実の問いではないでしょうか。

 

4月23日(日)日暮里の擇木道場にて、午後1時から2時45分、ぜひとも聞いていただきたいと願っています。

ZOOMも録画もありますので、どうぞ人生の役に立てていただきたく心からお待ちしています。

 

 

会費 3000円 テキスト込

 

 

 

 

 

仏教講座『夢中問答』のお知らせ

<日時>2月26日午後2時から3時半

 

<開催場所>日暮里 擇木道場 ZOOM

早いもので前回からもう2か月経ちました。

2月は15日が釈尊入滅の日。涅槃会です。

大切な月に仏教講座。緊張します。

今回もさいたま禅会の摂心会の後に、日暮里の擇木道場で開催します。

今回のテーマは「眼で聞き、耳で見る、本分の田地」です。

 

前回は、「順境、逆境、自ら司る頭となれ」という題でした。

足利直義公は、凡夫は順境逆境に影響されて坐禅で修行の成果を得たくても修行が真っ直ぐには進まないので、まず、人生に起こる様々な順逆の環境に対して、少しでも精神的に振り回されない方法はないでしょうか、と尋ねます。(41 理入と行入 (世情を去る工夫))

 

直義公は鎌倉幕府滅亡の功臣でありながら、後醍醐天皇から朝敵として追討され死の淵を見たり、室町幕府を立ち上げはしたが、仲間であった高師直たちバサラ大名たちと衝突して討ち、挙句ついに兄尊氏との対立がいよいよ表面化してきています。

後醍醐天皇も、一度は悲願の政権を樹立しますが最後は隠岐に流されてしまいました。

 

まさに順逆が激しく入り乱れる中で、正しい生き方を求めたくても環境に心を奪われ心配や苦悩が絶えない状況であるわけです。

それは私たちも同じで、会社で安定してきたと思ったら上司が変わって立場が逆転したり、転勤になったり、自分は良くても家族が病気になることもあります。変化、無常が私たち人間の人生なのですが、国師はこれに対し、「自分の心に合わないことを嫌だと捨て、自分の心にかなったことのみを願い求める。 そうした娑婆を私は「欠減」と翻訳した。」とおっしゃいました。

 

この欠減(缺減)という語は国師独特の表現で、非常に意味深いものでした。

「娑婆」は通常「忍土」と訳します。

人間は背の高い人もいれば低い人もいます。高い人は低いが欠けているし、低い人は高いことを失っています。

そのことによる間違った評価指標(思い込み、刷り込みの価値観)によって生まれる「~であるはずだ」という価値観と比べて足りていないと思って不幸になるわけです。

ところが人間は「色」である以上、もともと誰でも何かしら欠けて存在していると言えるのです。釈尊でさえ生まれた時に母を失ったという欠けを持っていました。

だから「この娑婆世界にありながら心にかなうこと(順境)を求めるのは、火の中に入って涼しいことを求めるようなもの」 と、まず理解しなければならない、とおっしゃるのです。

そして「ゆえに、もし思うようにならないことに出会ったら、煩悩の苦を離れよと勧められたと認識しなさい。

己を悩ますものは外の境涯ではなく、自分の心の問題であると心得なさい。」 

つまり対処療法ではなく、根源的な解決を図るべきだと、お示しになったのです。

 

<例> 喧嘩っ早い僧に諭した言葉

  「喧嘩を上手にするにはまず敵の大将に目をつけて雑兵などを相手にしないことだ。

大将さえ打ち取ってしまえば、雑兵は自然に滅びてしまうからだ。よく考えれば、たとえ他人に

罵られ、打たれようとも、それによって決して地獄に落ちることはないではないか。そのことで

怒った自分の心が自分を地獄に落とすのだ。だから己を損害する大将は他人ではない。 そ

れは自分自身の心なのだ。 争いの気持ちが起こったら、まずこの自分の中にある自分を害

する心に注目してそれを討ち取りなさい。」と教えました。

 

事実が問題なのではなく、事実をどう解釈したか、という自分の心に振りまわされているとわかって、この幻想である「思い量り(分別心、執着の元)」を一切投げ捨てるが良い、と説かれます。

 

そして、注意点。

自己を損害する大将に気づいたのは良いが、出てきた考えを抑え込んだり追いやろうとしたり、他の考えを持ってこようとしたりするのは、「血で血を洗うようなもの」。

思い切って「一切の是非に関わってはならぬ。これが大乗の工夫である。」と説かれるのです。

出てきたもの(色)はすべからく因縁によって必然的に形作られたもの。これを否定しても始まりません。景気よく丸ごと捨ててしまえ!三昧の中で形を失わせて(浄化して)しまうということです。

 

そして、そもそもなぜ順逆に翻弄されるというような事態になるのかといえば、心が受け身だからです。前回ご紹介した釈尊の「ご馳走は誰のものか」という逸話にあったように、主体性が保たれていれば、いわばセルフコントロールが利いているということですから、環境が主ではなく自己が主となっているので、振り回されることはありません。

 

「受身はそれ自体が心の毒」

『六祖壇経』の中でも、心の浄土とは、という説法に、以下のものがあります。

 

「諸君、誰でも自分の肉身は城であり、眼、耳、鼻、舌、は城門に当たる。

肉身の外には五門が有り、内側には心の門がある。

心は国土で、その本性は王であって、王は心の国土に居る。

 

・・・

自我への高ぶりを離れれば、須弥山は崩れる。

邪心を除けば海水は尽きる。

煩悩が無くなれば波浪は収まる。

自己の心にある覚性という如来は、智慧の大光明を放って、六門を照らして清浄にし、六欲天を照破するだろう。

自性が内側を照らせば、貪瞋痴の三毒はたちまち除かれ、地獄に落ちる罪は一度に消えてしまう。

そうなると心の内も外も明るく透き通って、西方浄土と変わらない。

こういう修行をしないで、どうして浄土に行くことができようか。」

 

 

さらに「48 坐禅の本意」のところでは、

坐禅は難しい、というような質問をした直義に対し、

禅宗で修する坐禅は心を静めるとか体を動かさないようにしていることではない。

だから、何も思わないようにすることを大事だと思ってはならない。 

禅宗は教理を考えることではない。

だから、自分は愚鈍なので教理を習うのは大変だとも言えない。

坐禅の為に、お金が必要なわけでもない。

だから、自分は貧乏だからできないとも言ってはならない。 

坐禅は体力のいることではない。

だから、自分は身体が弱いからダメだと言ってはならない。 

仏法は世俗の煩わしい苦労の中や、日常の中にある。

だから、自分のような俗人にはついていけないと思ってはいけない。 

 

さらに、

(身) 焼香や礼拝は身体でする行であるから、身体が何か他の事をしている時にはできない。

(口) お経を読んだり、呪文を唱えたり、念仏を申したりは口を使ってするのだから、何か別の事を話すときにはできない。

(意) 教理を深く観想するときは心を用いるのだから、別の事を思う時には観想はできない。

 

しかし、禅宗における工夫というのは、身体や口や心をもってするものではない。何を難しいというのか?」 

 

と、国師はおっしゃったのですが、

???身口意を使わないから難しくない???どういうことなのでしょう・・・

 

今回はこのお示しに対する直義公の問いから始まります。

 

さあ、真理に迫る問答です。ご一緒に拝聴いたしましょう。      

 

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仏教講座『夢中問答』④のお知らせ

<日時>1211日午後2時から3時半

<開催場所>日暮里 擇木道場 ZOOM

 

早いもので師走に入りました。

禅に関わる人にとっては、128日の釈尊成道はとりわけ重い記念の日ですね。

釈尊は、なぜ出家したのか、という問いに、後年「『善き人』になりたかった。」とお答えになっています。

 

釈尊は、生まれた時すでに母がいませんでした。お母様はゴータマを産んだときに命を落としました。

人間は皆誰でも何かしらの欠落(命ではなく「色」において)を抱えて生まれてきますが、

釈尊も人生の最初から「欠けた」人だったわけです。

釈尊は常人をはるかに超えた天才だろうとは思いますが、とはいえ人間として思索の起点として、この点は影響を持ち得たのではないかと考えられます。

父王は欠落感を抱え思索し物思いに沈みがちな王子に、贅沢を尽くして離宮を作ったり多くの美女を与えましたが、その憂いは消えなかったと仏典に書かれています。

 

一般に母の顔を知らない子どもが欠落感を埋めるために、たとえば母性を強く求める青年になるとか、子どもを大切にする人になるとか、様々な成長の仕方があるでしょうが、

釈尊の場合は、生老病死の「無常」として受けとめ、その解決に出家を決意しました。

 

そしてその心は「善き人になりたい」でした。

「善き人」とは、悪でない善、という選択ではなく、「正しい」に近いニュアンスです。

 

つまり、人間とは何か、どうあることが人間なのか、という追究です。

たとえば、なぜ母がいる子どもがいるのか、なぜ母がいない子どもがいるのか、なぜ人は生まれてくるのか、なぜ人は老いて死ぬのか、

総じて人間とは何なのか!ということ。

これを乗り越えて、人間のあるべき姿を見つけたい、

もし人間が絶望の存在でないなら、希望がある存在だとしたら、それを見つけたい。それになりたい。・・・

 

ここには、自己実現とか、自我の成長や自分の幸福のような、自分という個人にまつわる問いはありませんね。

そもそも仏教は、自分らしさの追究ではなく、「『人間』になる」ためのもの。

「人間らしく生きる」ためのものです。

 

個人の悩みから始まっても、個人の問題解決ではなく、「人間らしさとは?」・・・この答えが色即是空。

その後、人間らしさを身に着けた上で、個に還って、自己を生きるのが「空即是色」です。

そうです。人間らしさと自分らしさの一致を目指しているのです。

 

『夢中問答』の主人公足利直義は、日本の未来のために譲れない大義を貫こうと決意しています。

しかしそれを断行する時、君と対立し、仲間と対立し、兄と対立することになる、そしてその先には自分の死が予感されています。

どうすべきか!という絶体絶命の判断を前にした直義に、

まさに夢窓国師は「人間」としてのありようを授けていきます。

 

未来の幸せから逆算しての行動ではなく、そうとしかできない全力の判断こそが真に「人間らしさ」を生きることである。

そしてそれこそが、「自分らしさ」でもある。

したがってそれが誠の幸せである、と教え諭していかれます。

 

ところで、自我を乗り越え人間らしさを獲得した人のことを「菩薩」といいます。

「善き人」ですね。

 

夢窓国師のお示しを拝読していると、直義を仏子として生き切らせようとしているのがひしひしと伝わってきます。

そして、当時の人たちが、国師の反対を押し切ってこの本を刊行し広く読まれたのも、

この本の中に、「人間として生きるとはどういう生き方のことか」の答えがある、

それは自分たちにとっても、とてもとても必要だ、と確信していたからだと思われます。

 

さあ年末です。一年お疲れ様でした。どんな年でしたか?

どんな大変なこと、うれしかったことがありましたか?

一年の振り返りはもちろんですが、来たる新しい年に向かって、夢窓国師のお教えを一緒に拝読してみませんか?

そして生き生きと駆け抜けた『太平記』の人々にも寄り添って、歴史を味わってみませんか?

 

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*参加できる方はお返事ください。

*一括で参加費をお支払いされた方にもお送りしましたが了解しています。

*日程が合わず、録画希望の方にも、後日録画とテキストをお送りします。

ZOOMの方にはURLをお送りします。

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10月2日(日)午後2時から3時半 『夢中問答』③開催のお知らせ

すっかり秋の気配ですね。今こうしていても鈴虫の音が聞こえています。

夏の疲れは取れましたか?

これからのシーズンをさらに充実させるためにも、ぜひ夢窓国師の教えを一緒に拝聴いたしませんか?

 

さて、前回を振り返ってみますので、しばしおつきあいください。

 

「鎌倉幕府を倒すという大義の下に力を合わせて戦ってきたが、新政府内で政治や思想が真っ向から異なるとなるといったいどうすべきか。

折り合えばすべき政治ができず民が苦しむ。戦えば兄弟どちらかが死ぬことも起こる・・・。」

 

いつの時代にも、私たちの生活の中にも、譲れないこと、譲ってはいけないであろうこと、などがありますね。

こうした「対立」の時、いったいどうすればよいのでしょうか。そのようなギリギリのところにいた直義に国師は禅を説いていきます。

 

前回6段では「心を尽くしても願いが叶うことは稀なのはなぜか?」という問いに、

「人間の願いとは、よく見れば快を求め不快を遠ざけようとしているにすぎず、事実は自分の欲を満たそうとしているのである。

真実の目を通して見れば、その願いを叶えることがかえって本当の幸せから遠くなることもある。

神も仏のあるものか、と思っても、実はそのつまづきによってかえって本当の福に到る道を気づかせていただくということがあるものだ。」

 

ということを、西行法師の江口での故事、中国での官吏になった青年の厳しかった父への回想、 ビワの種をなくしてほしいと願う老婆の話などを引いて説明されました。

「本当の福は、この世での自我が基準の幸不幸ではなく、自分の全人格、つまり泡ではなく水そのもの、真理に根差したところからの自己の答えに、快不快を度外視して生き切ることにある。」

と国師はおっしゃっていました。

まさに命を惜しんで自己の真実から逃げずに生きること、たとえそれがどんな結末だろうと、そうしか本当の生き方はない、ということを国師と直義のふたりは確認し合っているような段でした。

 

7段では、業についての問答でした。

仏教では、この世は因果の世界なので、今で言う遺伝子も含め、定業は決して消えないが、

「本人が自覚をし至誠心で修行したなら必ず転ずることができる。が、欲情で福を保ちたいために仏神に祈るならば、定業に勝つことはできない。」

と述べられます。

6段と同じことで、至誠心とは泡ではなく真理からの全人格ということです。

それを伊勢神宮の素朴で自然な様子や、八万大菩薩の真っ直ぐ、というあり方を引いて、「手を加えず自然な美しく質素な様子にこそ現れているではないか。」とおっしゃるのです。

 

20段では、執着心について述べられました。

「うまくいかなかった時はもちろん、うまくいったならいったで、人間の心はわずかでも心の引っ掛かりができる。それを執着という。このことによって事態が暗転することがある。

唯一の方法は、執着心が起こってもこれが魔道かと自覚して、心を強くして捉われないようにして、満足の心を持たず、少しもわからなくてもヤケを起こさず、いよいよ修行の功を積む。

そのようなただ更に励むという心のみの時、執着心から離れる。」

と語られ、

「もしそうできれば、この世の幸不幸、快不快から自由になれるだろう。まるで維摩居士が一切の悪魔及び諸々の悪者共も皆自分の侍者だと説いておられるように。」とおっしゃいました。

 

さて、今回は中巻に入ります。

ここからはさらに禅の深いところに入っていきます。

ぜひ京都天龍寺の夢窓国師の方丈に、直義公と共に入ってみませんか?

 

*参加できる方には後程テキストを送ります。ZOOM希望の方にはURLとテキストを送ります。

 

 録画希望の方にもテキストを送ります。

 

次回は10月2日 午後2時から約1時間半、擇木道場で開催します。

ZOOMも併用しています。

詳しいことは  <zen@gyokukei.jp>までどうぞ。

受講料3000円/回 テキスト込 会員価格2000円/回

 

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7年目の仏教講座は、夢窓国師の『夢中問答』です。

今、NHKの大河ドラマで「鎌倉殿の13人」をやっていますね。

毎回放送が終わるとネットであれこれと盛り上がっていて、

とても面白いですね!

 

でも誰もが感じるのは、なんとまあ問答無用の殺し合いの世界・・・ということではないでしょうか。

ある学者は、鎌倉はゴッドファーザーの世界、と言っていましたが、まさに・・・

 

このあり方を根本から変えて、剣に(武士に)精神性を持たせ、

真に統治者となっていこう、と決断したのが、5代時頼です。

その息子が有名な元寇の時宗です。

 

時頼は、精神性を「禅」に求めました。

欲を満たすこと・・・一族郎党の安心栄華、所領こそ命、の精神は奪うことでしか満たされません。

禅は執着を手放すことを説きます。

手放すことが、真に得ることになる

これで武士は真に生き延びることができる。時頼は蘭渓道隆を招き、建長寺を建てます。

この流れで、鎌管時代以降、武士にとって禅は必須の科目となっていったのです。

 

しかし、とはいえ、やはり武力で争わねばならない宿命はやってきます。

それが、鎌倉時代の滅亡、建武の新政、室町幕府の成立、の流れです。

否応なく激動の時代の中で、真逆の信念を持つ2つの力が激突します。

 

ここに「怨親平等」という理念で、朝廷と幕府の間に立ち、真理を説き続けた人物がいます。

それが夢窓国師。

なんと朝廷から7つもの国師号を贈られるという前代未聞の禅僧です。

いかにその存在が戦乱の世において、頼るべき道しるべであったかがしのばれます。

 

国師は多くの弟子を持ちましたが、

その中に、足利尊氏の弟、直義がいました。

足利幕府は、その旗揚げから一貫して兄弟二人で築き上げたものでした。

気弱なところがあり、敗戦するとすぐに死ぬ、と言う兄尊氏を、

勇猛な弟が激励し、引っ張っていったというのは『太平記』も記録された有名な話です。

 

しかし後に、高師直の策により、次第に兄弟間が離れはじめ、

ついに兄により(おそらく)毒殺されてしまします。

『太平記』の記録でも、直義という人物の優れた様子は多く描かれていますが、

 

今回仏教講座7年目にして初めて取り上げた日本の禅の書物『夢中問答』は、

国師と直義の質疑の本なのです。

 

この問答は、国師晩年のものです。

国師の入滅は1351年、そして直義暗殺は1532年。

さすがに国師が存命の時に反対勢力も手を下せなかったのではないでしょうか。

 

ということは、この書物は、

もはや兄弟が抜き差しならないところまで行っている、あるいは行きかねない、という事態を踏まえていると

見るべきでしょう。

 

その土壇場で、「さあ、どうする!」という激しい緊張感を持っての問答だと思われます。

 

しかし、問答は実に静かに、実に淡々と行われていきます。

私たちは、その静けさにこそ、本当には何があるかを見なければならないと思います。

 

国師は非凡な弟子の危機、新生幕府の将来、日本の将来をすべて鑑みているはずです。

その上で、それらをすべて踏まえて、弟子に禅の真理を説くのです。

弟子の方も、そのことを十二分にわかっていて、

弱音も吐かず、個人の悩みなどは一切口にせず、

禅の真理に参じようと問いを立てていきます。

 

実際、前回で取り上げたところには、

こうした背景を考えれば、

直義が、相手の言うことを聞いて意見を曲げていくか、自分の信じるところをたとえ破滅しても通すべきか、

と問うているようなところがあります。

「一般の人たちが福を求めるという気持ちをどう思いますか?」

国師の答えは、

「福を求める心を捨てれば福は自然に満ちる。無欲であれば無限の福徳が得られる。

小利を求めることをせず、大利を求めよ。」

でした。

 

密かに、自分はどうすべきかを問い、国師もそれに答えていますね。

傍からこの様子を見ていると、胸が痛くなってしまいます・・・

優れた人と人の、命を懸けた問答です・・・

 

 

この問答は、筆記したものがすぐに当時出回ったそうです。

知識人たちは、敵味方を越えて、それこそ夢中になってこの問答を読んだのです。

なぜでしょうか?

自分の今の悩みを即、助けてくれる教えがあったからです。

そしてそれが時代を超えて真理だと思えたからです。

 

 

それほどのものです。今年、一緒に学びませんか?

仏教講座は、釈尊の覚りとは何か、から始めて、順に禅を理解できるよう、学べるように構成してきましたが、

日本のものを選ぶとき、煌めく仏教書がたくさんある中で、

私はぜひとも一番に皆さんにこの書物を紹介したかったです。

 

時代背景も実に重要です。

今こそ、二つに割れて争う時、人はどうするべきか。

夢窓国師の「怨親平等」の真意を学んでみませんか?

 

次回は8月28日 午後2時から約1時間半、擇木道場で開催します。

ZOOMも併用しています。

詳しいことは  <zen@gyokukei.jp>までどうぞ。

受講料3000円/回 テキスト込 会員価格あり

 

 

 

 

 

 

 

 

<今年度の予定>

日本の禅 夢窓国師の『夢中問答』

これまで6年間、「釈尊の覚りとは何か」、「大乗仏教とは何か」という基本の学びから始まり、

『華厳経』、『遺教経』、『般若心経』、『天台小止観』、『維摩経』など、仏教の、特に禅に重要な経典を選んで講座を行ってきました。

インド、中国と来まして、7年目の来期からは、いよいよ日本の禅を見てみようと思います。

 

インドの哲学的で壮大なイマジネーションに彩られた仏教は、

中国に入って大地に根差し日常を見つめるものに変容していきました。

それは「草木国土悉皆成仏」という言葉に象徴されます

幾多の英雄が興亡しようとも国土は不変、大地こそが日常こそが大事、というように、

思想が天から地へと居場所を変えたかのような変化です。

 

それが日本にやってきますと、

四季のあることから「無常」に最もシンパシーを感じ、神道の影響もあり、日本独特の思想と味わいを持つようになります。

 平安貴族は高い仏教の教養を持ち、かつ生活に従事しないゆえに、無常の思想に浸りきって感覚を磨き、

 世界に誇る文学を残すまでのレベルになっていきました。

 しかしその後の鎌倉武士は、法の整備もない中、自分の領地を守るため、

欲を満たすためなら直ちに暴力に訴えるという時代の人々でした。

その弊害は後に幕府の重要な人物が次々に滅ぼされていくという尋常ではない事態となります。

そこで、6代時頼が禅を導入し、欲とは真逆の枯淡を旨とする精神を学ぶことによって、

欲の剣を振り続ければ己自身が危ないと教え、一段精神を高める剣の使い方を学ぶ時代になったのです。

様々な政治的要因もあり、鎌倉は中国語が通じたというほどの留学僧がいたそうです。

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やがて、室町時代になり、五山文化が花開き、禅文化は絶頂を迎えます。

その中心にいたのが天龍寺開山の夢窓疎石です。

この方は7度も国師号を送られた当時の宗教界の頂点と見なされていた人物です。

同い年になんと大燈国師がおられたという・・・このめぐりあわせだけでも驚異の出来事です。

大燈国師が雨漏りする寺で正法を挙揚され、禅は枯淡を旨とする、と言われる中、

夢窓疎石は傍目には世間からの大きな名誉に恵まれ将軍からも深く帰依された人物です。

しかし、その足跡を眺めてみれば、もしかして?・・・秘めた「たくらみ」があるように思えます。

禅僧の「たくらみ」はたったひとつ、『四弘誓願』です。

大伽藍を作り、作庭し、文化水準を押し上げた真意は?・・・このあたりはぜひ一緒に追究してみましょう。

 

ということで、次回のテキストは、夢窓国師の『夢中問答』です。

この書は、足利尊氏の弟直義の質問に答える形で禅を解説したもので、

聖と政の第一人者同士の対談として思想史としても重要とされており、しかもわかりやすく、

人間なら誰でも持つであろう疑問が多く出てきます。

そこに国師の見事な解答がついてきますので、今でも少しも古びない名著として知られています。

 

インド、中国と来て、今、日本の文化を振り返りながら、

私たちの心の奥にきっとある思想に気づいたり、日本を愛しんだりしながら、1年間、禅を学んでみませんか? 

 

<日程予定> 日曜日、午後2時から3時半

626日、828日、102日、1211日、226日、4月23日