岡山座禅道場の歴史

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 <岡山座禅道場について>

人間禅は明治の初頭、山岡鉄舟・高橋泥舟等の先覚者が、鎌倉円覚寺官長蒼竜窟今北洪川禅師を拝請し僧籍を持たぬ一般の人々の禅会として「両忘会」を創設したのが始まりです。

その後、大正期になり禅の歴史上初の僧籍を持たぬ者に法脈を伝えるという、新しい修行の形「居士禅」の道として再興されました。

人間禅 中国道場は昭和6年11月、岡山市の国清寺を会場に「第一回摂心会」を厳修したことに始まります。

国清寺が昭和20年6月に戦災で焼失した後、昭和22年1月の第46回摂心会から場所を少林寺としていましたが、昭和41年3月の第101回摂心会からは念願かなって円山佐古谷に中国道場で厳修され、昭和41年6月に専用の新道場が完成しました。

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道場から江戸時代に干拓された沖新田、岡山港と児島湾、瀬戸内海に浮かぶ島々が織り成す雄大な景色を望むことができます。

簡単に我々人間禅の来歴をご紹介しますと、釈尊、達磨大師からの正脈の法統を継承しており、明治の始め、山岡鉄舟、中江兆民等が、明治の志士の腹づくりを禅に求め、鎌倉の円覚寺の管長を東京に拝請して始めた禅の会「両忘会」が源流になります。

当岡山は、戦前から支部ができており、人間禅でも古い支部であり、戦前の旧制二中の校長・武居魁助氏(不識庵玄旨老居士)、戦後朝日高校の校長・原田親氏(忘路庵龍門老師)、山陽新聞論説委員長・小野嘉夫氏(一宇庵円照老師)、慈圭病院創設者・大重彌吉氏(澄徹庵月桂老師)等々のすばらしい人物を多く輩出した歴史を持つ岡山支部(岡山道場)であります。

現在の人間禅名誉総裁である葆光庵丸川春潭老師(ほうこうあんまるかわしゅんたんろうし 本名 丸川雄浄 著書「AI時代と禅」「坐禅の効用」「人づくり肚づくりと禅」など)は、当地岡山市の出身で、ここ中国支部(現:岡山支部)で人間禅立田英山老師に入門されました。現在、岡山支部の担当師家であります。
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岡山道場建物は旧制閑谷学校校舎(普通科教室)の一部です。閑谷から校舎を運んで来ました。

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