大阪・京都 関西座禅道場 旧ページ

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基本情報

関西禅道場所在地

〒614-8348

京都府八幡市橋本東原28

責任者 坂本 法燈

連絡先

電話 090-3927-1237(坂本)
問い合わせ先メールアドレス 1789llll@gmail.com
ホームページ http://www.ningenzen.jp/kansai/
ブログ 関西支部 座禅ブログ
関西支部 座禅修行だより

支部長挨拶
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関西支部は、人間禅の中でも歴史のある支部です。石清水八幡宮のおひざ元の京都橋本に道場があります。

関西支部から、和歌山座禅会、神戸禅会が生まれました。

年3回の摂心会の他、各地区静坐会、学生インターン座禅会、京都歴史探訪、細道会(俳句会)、秀茶会(茶道)

インターネット句会などユニークな企画を行っております。

是非、京都橋本の関西座禅道場にお越しください(支部長 坂本 法燈)

 

メニュー

定例活動の内容(関西)

イベント案内

主な年間予定

関西ブログ

細道会(俳句会)

 

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定例活動の内容

新型コロナウイルスCOVID-19の蔓延を抑制するためにオンライン座禅会を行って

来ましたが、各静坐会を開始いたします。是非、奮ってご参加願います。

山田静坐会のみ6/13から再開。

ご参加いただく際の注意事項

発熱並びに体調不良の方はご参加をお避け下さい。

マスクを常時ご着用ください。(座禅中も)

ハンカチをご持参ください。(トイレのタオルは外しています)

一階の洗面所で石鹸またはアルコールで手を洗ってから禅堂にお入りください。(ハンドソープかアルコールを設置しています)

座禅道場内では靴下を着用し、ご帰宅後履き替えてください。(床に着いたウィルス対策)

他者と常時2m離れて行動してください。(静坐、休憩中も含む)

 

不要な私語は慎みましょう。

 

土曜静坐会

    日時:原則、毎月第1土曜日  10:00-12:00 
        毎月第2~5土曜日 17:30-19:30
 2020年8/1(朝)・8・15・22・29、9/5(朝)・26、10/3(朝)・17・24・31、11/14・21、12/12・19・26。

 場所:関西禅道場(京都府八幡市橋本東原28)  (駐車場あり。10台程度駐車可。)

 担当者:坂本法燈 e-mail:1789llll@gmail.com 参加費 無料 

②市民静坐会   

 日時:原則、毎週水曜日 14:00-16:00

  2020年8/5・12・19・26、9/2・9・23・30、10/7・14・21・28、11/4・11・18・25、12/9・16・23・30。 

 場所、担当者は土曜静坐会に同じ  参加費 無料

③-1 今里静坐会(宝厳寺の部)  

   日時:原則、毎月第2木曜日  1回目18:30~20:00、2回目20:30~22:00

       毎月第4木曜日  18:30~20:00

 2020年8/13・27、9/3・24、10/1・22、11/12・26、12/10・24。    

 会場:宝厳寺  大阪市東成区神路3-17-8(地下鉄 千日前線 新深江下車)

 担当者:坂本法燈 e-mail: 1789llll@gmail.com  参加費 300円

-2 今里静坐会(プレジデント今里の部)

 日時:原則、毎月第3木曜日  18:30~20:00

  2020年8/20、9/10、10/15、11/19、12/17。

 会場:プレジデント今里1006号室神路3-17-8(地下鉄 千日前線 新深江下車)

 大阪市東成区大今里西2-17-10プレジデント今里1006号室 (地下鉄 千日前線 今里下車)

 担当者:坂本法燈 e-mail: 1789llll@gmail.com   参加費 300円

和歌山静坐会  

 日時:毎週日曜日(第5日曜は休み) 9:40~12:00

     8月 2日、9日、23日 

     9月 6日、20日、27日

    第1・3・4木曜日(原則)18:30~19:30

     8月 6日、20日、27日

     9月 3日、24日

 会場: 和歌山禅道場 (和歌山市吹上3丁目1-72 窓誉寺(そうよじ)内)

 担当者 日曜日:鶴井陽生 e-mail:ningenzen.wakayama@gmail.com

     木曜日:田倉哲也 e-mai:ningenzen.wakayama@gmail.com

 参加費 無料

甲子園静座会     

    日時:原則、第2月曜日 19:00-20:30

 会場: 南甲子園公民館 電話 0798-49-4741

    住所: 西宮市甲子園九番町15-4(0阪神甲子園駅から南へ徒歩15分)

  担当者 宮井 e-mail:miyai-seisakusyo@amethyst.bforth.com  参加費 無料  

豊中静坐会  

    毎月1回 いずれかの日曜日 19:00~21:00 

    2020年  8/23, 9/27, 10/18, 11/29, 12/13

 会場 熊野田第二会館(豊中市東泉丘2-13-25 地下鉄御堂筋線 桃山台駅下車 徒歩15分)

 担当者 世古智常 e-mail : showrakuwa1092@gmail.com  参加費 300円

  ☆日程変更の可能性が有りますので、事前に人間禅関西支部のホームページでご確認下さい。

山田西静座会 

    原則、第1水曜日 19:00-20:50

     第3土曜日 10:30-12:00

  2020年8/5・22、9/2・26、10/7・17、11/4・14、12/9・19。

 会場  西山田地区公民館 吹田市山田西2-5-1  電話  06-6876-9933

 担当者:坂本法燈 e-mail: 1789llll@gmail.com  参加費 100円

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イベント案内

 

   

 

主な年間予定

第198回関西支部摂心会 2020.9.12 Sat. - 9.19 Sat.

第40回和歌山座禅会摂心会 2020.10.8 Thu. - 10.11 Sun.

第199回関西支部摂心会 2020.11.28 Sat. - 12.5 Sat.

第41回和歌山座禅会摂心会 2021.1.8Thu. - 1.11Sun.

第200回関西支部摂心会 剣と禅 座禅会 2021.2.25 Thu. - 2.28 Sat. 

第42回和歌山座禅会摂心会 2021.3.11 Thu. - 3.14 Sat.

参加費 摂心 1000円+食費400円/回  剣と禅 2000円(食事込み)

 

関西ブログ

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 2020.9.9掲載

 

 

 

「目が見えることで見落としている事?」

 

 

 

私は縁あって日本ブラインドサッカー協会というパラスポーツ競技団体の活動を個人的に応援させてらっています。その協会が主催する「オフタイムビズ」というトレーニングコースは、企業や学校でコミュニケーション研修やチームビルディング研修として人気が高くNHKや日経、朝日といったメディアでも数多く取り上げられています。

 

その中身は、目隠しをした幾つかの簡単なゲームを通じて普段の自分のコミュニケーションが如何に独りよがりであったかを楽しく且つ身をもって気づかせてくれます。

 

例えば、目が見えない状態の人に「もっと先に行って」とか「そっちじゃない」などと言っても全く通じません。「人は自分が見えていることは他人も同様に見えている」といった前提というか思い込みでコミュニケーションをしていることが如何に多いことか気づかされるのです。

 

実は、お互い目が見えている人同士でも同じことが言えます。同じものを見て、ある人は大きいと感じ、またある人は小さいと感じていたりする。そのことを考えずに独りよがりの言い方で話をすることで、話が通じないと落ち込んでみたり、相手を批判したり。

 

 まずはこの気づきから自身のコミュニケーションを振り返り、変えていくことで人間関係が結構変わってきます。私自身この研修を何度も受けていますが、そのたびに新たな気付きを与えられます。そんなこともあり、国内外を問わず自分の部下100人以上にこの研修を受けてもらいましたし、300名以上の眼科の医師の方々に研修の場を提供したことがありますが、とても効果のある研修でした。

 

 仏教の世界には沢山の観音様が出てきますが、目で見るではなく「見えないはずの音を観る」というところにも何かヒントがあるのか?などと勝手なことを思ったりしています。

 

 

 

さて、一歩進めて私たち殆どの人が見えているつもりで見えていないものの最たるものは何か?

 

それは自分自身ではないだろうか?と思うのです。多くの人は学歴・職業・役職・家族構成などを語ることで自己を紹介するが、そこに本当の自分はあるのか?職業等を外して本当の自分自身を語ろうとした時に適切な言葉はなかなか見つからないのではないでしょうか?本当の自分を知らずに一生を終えるのはとても残念な気がします。

 

坐禅を通じて何とか本当の自分自身を「観て」みたいものです。

 

 

佐藤 泰仁 記

 

2020.8.23掲載

「ニュートンのリンゴ」

 

 昨日8月23日に、関西支部の土曜静坐会と月例講話会が開催されました。名誉会員の本庄慈眼先生と、初めて来られた若い男性二人も参加してくださいました。。講話は私が担当で、無得庵刀耕小川忠太郎老居士の『剣道講話』より「直心是道場」直心陰流法定の形の部分を皆さんと一緒に読みました。人間の持って生まれた直心をそのまま育てるように修行が必要である。それには、まず理論を知り、次に「百錬自得」で実際に身に着ける。という内容でした。最後に皆さんと一緒に直心陰流「法上の形」の努力呼吸を行って終わりました。

 終了後の茶会話で、慈眼先生が「直心というものを人はみな持っている。しかし生まれたらすぐに人は分別で生きて行く。直心というものについての脳内科学の新しいアプローチに今日は気づくことができ、有意義であった。」とおっしゃってくださいました。ニュートンが万有引力を発見してくれたことで、落ちたリンゴも世の中の役に立つことができました。私も少し世の中の役に立つことができたようで嬉しかったです。

 追伸: 始めての試みとして、この月例講話はTV会議方式で道場に来られない皆さんにも発信しました。

   田倉明眼 記

 

 

2020.8.2 掲載

「禅の考察」

 

関西支部の静座会で、人間禅師家如々庵芳賀洞然老師著「禅入門」(‟禅は神秘主義か”134~143頁)を輪読しました。

輪読内容は,①禅の悟りを開けば、瓢箪から駒を出すというような霊妙不可思議な力、いわゆる神通力を得られるものだというような考え、つまり禅は神秘主義の教えであるといった誤解や曲解が一般に行われているが、禅は決してそのようなものではない。禅の開悟の唯一の手段は坐禅して三昧に入ることであるが、これは一切の雑念妄念を空じ去ってただ正念だけが一貫相続することであり、自然と人生の相を少しの歪みもなく、如実に正しく受け取ることであって(正受)、明鏡が万象をあるがままに写すようにまことに公明なもので決して独断でも不可思議なものでもない。

②禅はあくまで宗教であり、その限り科学や学問とは次元を異にするが、しかしそれらと矛盾するものではない。つまり、自然科学は自然界を一貫して支配している普遍的な法則を帰納しいわゆる自然律を明らかにするものであるが、この自然律は自然と人生とを一貫して支配しこれをあらしめている根源的なもの、如是法の特殊な一部にほかならないところ、自然科学はその特殊な一部を実験観察によって認識し判断しようとするものであり、禅はこの如是法全体を体験的に照見し体得するものである。その限り、禅と科学とは決して反撥したり矛盾したりすべきものではない(人間形成と禅)。

③昔黄檗が天台山におもむく旅の途中に雲水と道連れになり、増水した川にさしかかったとき、その雲水がお先にと一言いって、水上をスススーッと向う岸に渡ってしたり顔に手招きをしている。これを見て黄檗が、「この野狐精めまやかし坊主め、そうと知ったらもっと早くこの棒でたたきのめしてやったものを、そんな一見奇特とみえるはたらきは仏法と何の関係もないわい」といい、大法に不可思議無しと喝破した。

④禅が神秘主義と思われている原因の一つに、禅の公案についての無理解、その表面的な解釈がある。「一毛巨海を呑み芥子須弥を容る」といった公案を、文字の表面にこだわって解釈すれば、いかにも没常識的で非科学的に思われるであろうが、公案は文字に執着して解釈すべきものではなく、その表現の背後に秘められた真理、その公案の宗旨に目をつけ理屈や道理を離れて工夫すべきものであり、もしその宗旨をわがものとすることができれば、公案はいささかも神秘不可思議なものでなく、あたりまえのことをあたりまえにやるのが禅の悟りであることがよく納得されるであろう。

⑤仏教経典には、一見奇蹟・霊験と解されることが説かれている。観音経には、大水に遭ったときに観世音菩薩の名号を称せば溺死を免れるなどと記載されている。経典の記載を文字通りそのまま事実として信じるのではなく、経文の説こうとする根本の宗旨をわがものとし、その上で文字言句を離れてその肚を看破しその真精神を顕揚する禅的な解釈をすれば、この上記部分は、もし五欲にひかれ、別して愛欲に溺れ人間の道をふみはずそうとする場合、真実の自己に立ちかえるならば、よくその耽溺から免れることができるということを比喩的に説いたものとして、いささかの迷信くさいこともなく受け取れるであろうし、理の当然の明々白々たることを説いたものにほかならないことが納得されよう、といったようなことでした。

そしてこれに関連して、①公案もその宗旨を捉え、経典もその真精神を踏まえて理解すれば、いかにも常識的な、何人でも納得することができる、当たり前のごく自然なことを説いていることが分かる。

②また、禅は、教外別伝・不立文字を金看板とするといわれるように、大乗経典の根底を貫く如是法の根本を照見し体得しようとするものであるから、禅を深く修行すると、あらゆる仏教経典もその表面的な文字言句にとらわれずに、その根本の宗旨を手中に収めて、その経典の真精神を根源から容易に理解することができるようになるといわれている。

③高野山の某阿闍梨は、幼時から自在に念力によって、鳥を落としたり、水上に浮遊する木片を水中に沈めたり、あるいは空の雲を動かすことができたし、また修行中に、禅定に入り結界を作ることができるようになり、ある夏に徹宵して朝になると自分の90センチの結界の外側に蚊が累々たる死骸を積み重ねていたといった話を聞いたことがある(さらに、冷戦時代にミグ25戦闘機を函館に亡命させたのもこの阿闍梨であるという余話まであるようである)。

④それらの話の真偽は不明である(ミグの話までになると全くの眉唾ものであろう)が、もし仮に万が一それが事実であったとしても、輪読内容の黄檗の話とも重なるところであるが、それが一体大乗仏教と何の関りがあるというのであろうか。自己を救い衆生を救うのが大乗仏教の根本であるから、この阿闍梨ができるという、鳥を落とし木を沈め雲を動かすようなことは、不可思議なことではあるものの、衆生の誰一人として真似ることもできないことであるから、大乗仏教の根本である自利利他(四弘誓願)とは何らの関係もないことであるといわざるを得ない。真に衆生済度できるかどうかこそが、まさに根源的に問われるべき問題である。

⑤さらにここでは、道元が「かくのごとくなる神通は佛家の(日常)茶飯なり諸佛(昔から)いまに懈倦せざるなり」「諸佛はこの神通のみに遊戲するなり」(正法眼蔵)と述べる意味を深く考えなければならないと思う。これは、仏家では行住坐臥の日常生活の生き方が神通そのものであると説くものであるが、これは禅が冒頭に述べた神秘主義であると説いているものでは全くない。無明の中にある衆生が、発心し修行を重ねて次第に人間形成を完成していく過程そのもの(それがまさに修行の過程であり佛家の日常生活である)が、まさに心震える奇蹟としか呼びようがないものであるという趣旨で(道元は)神通と評価しているものである。その修行の過程は本来何人も等しく有している自己の本心本性(真実の自己)に自ずから還って(本来の帰着点に実帰して)いく自然なものに外ならないのであって、決して瓢箪から駒を出すというような、あるいは鳥を落とし木を沈めるというような、何人も真似のできない霊妙不可思議な神秘的な力を得られるといっているものではないのである。そして、衆生が誰でも皆修行によって体得することができる、道元のいう神通こそが、衆生済度という大乗仏教の根本そのものである、といったようなことを話し合いました。

 

坂本法燈

 

2020.6.17 掲載

寿典さんの句 

三原寿典さん入選おめでとうございます。

 

 

2020/2/23の関西支部ブログで、道月庵加藤碩信老居士の銅賞入選について書かれておりました。

 

  2020.1.26(日)に行われた武蔵野俳句大会において、

 

 

加藤碩信

 

底冷えて背骨の軋む坐禅かな 

 

 

選者の有馬朗人氏は、元東大総長、文科大臣、文化勲章受章等赫赫たる経歴の持ち主で、俳人としても、自ら結社を主催する傍ら

国際俳句協会会長でもあるという素晴らしい方に選んでいただいたようです。

 

さてこの度、三原 寿典さんも、

55回令和2年度 関西俳句大会で、岩城久治氏の選に入りました。この俳句大会では、上記の有馬先生も選者をやられている、

立派な俳句大会です。

 

 寿典の句

 

冬日向歓喜天置く露天商

 

 

 

選者 岩城久治・・・俳人協会評議員、よみうり俳壇(京都)選者、「参」主催

 

日本には大きな俳句協会が二つあるそうで、一つは俳人協会、もう一つは現代俳句協会だそうです。その一方に所属した俳句大会だそうです。 

 

鑑賞:歓喜天とは象頭人身像などで表されるインドの神様です。障害を除いて財福をもたらす神として広く信仰され、インドから中国に伝わり、

日本に来たようです。なんとなく露天商の信心と商売に対する思いが伝わってくる晴れた冬の風景を詠んでいます。 

 

2020616

 

絶学

 

 

2020.5.2掲載 

ネット静座会開催で感じた事  

 コロナウィルス流行で非常事態宣言が出され、多くの方が自宅勤務や営業自粛で苦労されています。私達も摂心や日常の静坐会を中止せざる得なくなりました。そこで、ある人の発案で「ネット静座会」を始めました。いつも静座会を開催している時間にそれぞれが家で座り、感想を直日にメールで送り直日がまとめて皆に報告する。というのが「ネット静座会」の内容です。

   始めた時には、正直なところ私は、通常の静坐会ができないので少しでも“やってる感”が出ればいいなと、思っていました。  しかし一月続けてみると「ネット静座会」ならではの良い所が見えてきました。(下記) 

・離れたところからも参加できる。 

  東京在住会員や神戸禅会の方、転居した昔の静坐会の方が参加してくれています。移動中に公園で参加する人もいます。 

・一日に複数の時間設定ができる。 

  土曜日の通常静坐会は夜7時の開始で運営されてきました。自宅での静坐には 少し不都合なので夕方5時半開始にし、後から朝10時開始を追加しました。現在は両方合わせて10人余りの方が参加してくれています。 

・メールの交換で互いの思いが判る。 

・新工夫で、LINETV電話で参加者をつないで開催している静座会もあります。 

このような事で、支部長に通常の静坐会が復活しても並行開催でネット静座会を続けてくれるように、今お願いしています。 

 さて、小川忠太郎先生(無得庵小川刀耕老居士)が『剣道講話』第三巻に「武訓」(鬼一法眼が牛若丸に与えたものらしいです。)を載せておられます。その武訓の最後に活殺応機 変化応時 臨事莫動心矣 とあります。(活殺は機に応じ 変化は時に応ず 事に臨んで心を動かすなかれ)今回の「ネット静座会」は時に応じた変化です。また今、コロナという事態に臨んでバタバタしていないかとわが身を反省しています。 

   田倉明眼 記

 

2020.4.19掲載

今日の豊中静坐会(ビデオ電話

新型コロナウイルスの蔓延防止のため外出自粛が世界的に徹底されている。1918年から2年間、世界を襲ったスペイン風邪の時も

外出自粛の政策であった。今も昔も変わらない。

ずっと家にいると外界から隔離されたようで、陰鬱になりかねないが、スペイン風邪の時とは違い、今の時代はインターネットが

ある。部屋の中ではあるが、実は世界と本当に容易につながっていることがわかる。ポストウイルスの世界は今とは一変している

かもしれない。5G技術で大容量の通信が容易にかつ安価になり、海外出張など不要で、世界の人との会議はすべてTV電話に

なっているかもしれない。まだ音声のdelayが耳障りであったり問題はあるが、そのようなこともすぐに解決されるであろう。

そして、禅の世界にもこの流れは押し寄せる。密集、密接、密閉を回避するために座禅会ものきなみ中止になっているが、

今の時代はビデオ電話でつないで座禅をすることができる。今日の豊中静坐会はビデオ電話でつないで座禅を行った。

各人それなりのwifi環境が必要ではあるが、ビデオでつなげば、皆の姿や息遣いがわかり、励まし合うことができる。

こういう時代に突入してきた。

但し、インターネット参禅だけはご免被りたいが

 

智常

 

2020.4.18 掲載 

城崎俳句コンクール

 城崎の俳句コンクールで優秀賞を頂き、皆さまにお祝いのメッセージを頂きまして、ありがとうございました。

絶学さんに「こんなのがあるから応募してみようか〜」と、教えて頂いて、城崎は今までに何度も訪れたことがあるので、

俳句も詠めるかな〜と応募したものでした。絶学さんも応募されて、何と二人とも入賞となり、びっくりすると同時に大変

嬉しく思いました。

 これも、一重にここまでご指導して下さいました故炭﨑博先生のお蔭です。

今までの城崎の俳句の入賞作品が、ネットに上がっておりましたので、見てみると、なんと炭﨑先生の俳句も載っておりました。

2013年第十回城崎俳句コンクールの優秀賞でした。

 

子宝(こだから)()山手に花の鬼子母神(きしぼじん)  博

 

講評:「子宝湯」と「鬼子母神」が見事に組み合わされている。「花の鬼子母神」の「花」が一句を生かしている。

 

今回、絶学さんと私の優秀賞の句は、

 

 一の湯の足湯に休む夏の蝶  絶学

 

           講評:歩き疲れた者にとって足湯はありがたい砂漠のオアシスのような場である。一の湯の前にある足湯で、

腰をおろし足を湯に浸していた。ふと見ると、近くに大きなアゲハチョウが羽を休めていたのである。別に蜜をとる

のではなく。羽を揃えて静かに休んでいる蝶を見ていると、不思議な連帯感のようなものを覚えたのである。

この景色を句としてとどめた感性に賛同する。同時に、蝶を基軸に足湯に集う和やかな空気が広がるようである。

 

御所の湯の天蓋溢るる緑かな  寿典

 

講評:階段を登りながら何となく貴族の雰囲気を味わうのも一興である。ちょうど新緑の頃、湯に入り、

天井を眺めて圧倒された。滴る緑の圧倒的な質量感。なにも湯ばかりではない、心身を癒してくれるのは。

そう思い広々とした天井をぐるりと眺め、再び熱い湯に身を委ねたのである。爽快爽快。

 

選者: 中西健治先生 元立命館大学文学部教授

 

炭﨑先生のご逝去からもうすぐ半年となります。

私達は、守破離の守の段階でしたのに、先生は逝ってしまわれて、戸惑うばかりでした。

しかし、先生の教えを守りつつ、さらに精進して、細道会をますます盛り上げて行く所存です。

皆さま、よろしくお願い致します。

                                    寿典

 

2020.4.15 掲載

ネットによる坐禅会

柳家小三治一門会が中止になった。往復はがきで申し込み当選したプラチナチケットであったので残念だ。

内定していた大学の市民聴講生も受入れ中止との連絡が届いた。市営体育館、プール、図書館もクローズが続いている。

会社OB会、大学同期クラス会も中止。所属している俳句グループの定例会や吟行も当面取りやめ等々、手帳の予定表が真っ白になった。

きょういく(今日行くところがある)、きょうよう(今日用事がある)がなくなってしまった。また当然ながら善良な市民として

不要不急の外出は自粛している。これではコロナで死ななくともコロナ関連死になりそうである。

このような巣ごもり生活では心身の健康管理が大事だ。関西支部も集合しての坐禅会は中止にし、泰仁さんがネット坐禅会なるもの

を開発した。

所定の日時に各自自宅で一斉に坐禅しその感想などをネットで情報交換するというものだ。各静坐会はこの方法で実践している。

実際の坐禅会ほどではないにしても、独座よりも、道友と一緒に坐っているとのイメージで、より臨場感、緊張感を持ってしっかり

坐禅できる感じで、今の巣ごもり生活にマッチしている。新型コロナ感染防止は長期戦になると言われている。様々に応戦して生き

抜いていきたいものである。

加藤碩信

 

2020.3.7 掲載

坐禅の体験

毎週水曜日の午後2時から八幡市橋本の道場で市民静坐会が開催されています。しょっちゅう遅刻しながら、また、八幡市民

でもありませんが、時折参加しています。

当日、道場の門扉は、すっきりと開け放たれます。大きなクロガネモチの樹の下を通り玄関へ。玄関の引き戸は、そっと静かに

引いているつもりです。しかし、努力虚しくカラカラカラッと屈託のない音が鳴ります。「いらっしゃい!」とでも言うように。

急いで荷物を置いて、バタバタと座布団を手に、道場の襖を開けます。 するとそこは、引き戸の「カラカラ」にも私のバタバタに

も、なにものにも侵されない閑かさで満ちています。

 一ちゅう香が、あっと言う間だった、なんてことはまだ一度もありません。すぐに足は痺れ、色んな考えが頭を巡り、腰もだるく、

さらには眠くてたまらなくなります。こう書くと、辛い時間のようですが、終わった後には自然と「また来よう。ここに戻って来よ

う。」と感じます。拍子木のカーンという突き抜けた音で切り取られたこの時間を、これからもずっと大切にしたいと思っていま

す。市民静坐会を絶やさぬように守り続け、温かい場をご用意下さり、ご一緒してくださっている皆さま、いつもありがとうござい

ます。

追記

ホームページにも記載されている通り、新型コロナウィルス感染症対策の一環として、三月三日から静坐会はお休みされています。

再開を落ち着いて待てる自分でありたいと思います。

 

 

2020.3.2 掲載

日本数学史上最大の数学者岡潔                              

岡潔先生は、明確には禅の修行はされていない。しかし、ご著書を拝読するに、数学を通じて禅の悟りを得ておられる。

岡先生曰く、

「自分とは何か。体は全身の夥しい細胞が絶えず変わりつ維持されている。そこには「主宰性」がある。この主宰性は

心理学のいうこころにはない。こころができるのは、食べ物を口に入れるところまでと、排せつの直前だけ。両端だけ。

後は主宰をすることができない。主宰性は何か?」

人間の体は炭素、窒素、酸素、水素などの原子でできている。これらを組み合わせて化学物質をつくることができる。

人間の体をこのように作ることも理論的には可能であるが、単なる物質であった化合物が、ある瞬間から、ドクッドクッと

動き出す。この瞬間は神の領域である。岡先生は何かが支配している、何かが主宰している と気づかれた。 

岡先生曰く、

「この身体、こころが自分だと思うのは間違い。一本の木がある。木に一枚の葉がある。葉が生きているのは木が生きて

いるから。葉からすれば、本当の自分は木だ とも言える。しかし葉は一枚の葉としての役割しか行っていない。

木が自分と言うのは言い過ぎ。人と言うのは、大宇宙の一本の木の一枚の葉。肉体は大宇宙の主宰性があるからこそ存在する。

自分は木であることを知るとともに、自分の肉体は葉であることを知る。葉に近いところは縁が近い、遠いところは縁が遠い。

自分が木だとわかっただけではダメ。葉、すなわち肉体との関係も知らねばならない。幸福とか生き甲斐は、木から枝を

伝わって葉にくる樹液。葉だけでは生きていけない。自我を主人公として生きていると生命の根源からの命の水が湧き出

なくなってしまう。命の真清水は自我から湧き出ることはない。」と。 

智常 

 

2020.2.23掲載

武蔵野俳句大会

東京都武蔵野市に住んでいる。いささか旧聞に属するが、1月26日(日)に市内で俳句大会が開催された。

有馬朗人氏をお招きして、講演、選句、講評があるというので参加してみた。

氏は、元東大総長、文科大臣、文化勲章受章者等赫々たる経歴の持ち主であるが、俳人としても著名で、自ら結社を主宰

する傍ら国際俳句協会会長でもある。講演は、世界で最も短い詩と言われる俳句を、韓国や中国の詩との比較、

たわが国での俳句の歴史を繙き、ユネスコの世界文化遺産に登録すべく運動している状況が話された。

さて、参加者100名に及ぶ句会であったが、皆投句しての互選もあった。有馬先生が選句し、金賞1名、銀賞1名、

銅賞3名、佳作15名が選ばれ賞品が授与された。その中で,拙句「底冷えて背骨の軋む坐禅かな」が銅賞に選ばれた。

講評の中で、「厳しい環境の中、懸命に坐禅している姿が見えて、いい句です。」とコメントして下さった。

坐禅ということが有馬先生の関心を惹き、鑑賞の対象になったということであろうか。 

加藤碩信

 

細道会(関西支部 俳句部です。宜しくお願いします。)

 (世話人 柏谷絶学 連絡先:yoshiaki.kashiwaya@nifty.com)

 細道会は、故炭﨑博先生のご指導の下、平成十三年(2001年)八月五日に第一回の吟行が関西支部の道場で行われました。以後、回を重ね現在93回まで来ておりましたが、炭﨑先生の体調の悪化とともに休止状態にありました。さらに、昨年2019年11月8日にご逝去され、先生の追悼句会を計画中に新型コロナウィルスの蔓延のために、休止状態にあります。

 一方、平成28年(2015年)2月19日から、インターネット句会を始め、毎月十九日は俳句の日と定めて、会員から俳句を募集し現在に至っております。

 *毎月十九日締め切り

 *一人三句まで

 *上記絶学まで、メールで送信

の簡単な投句の場です。

皆様お気軽にご参加ください。初めての方も大歓迎です。

56回インターネット句会(2020923日(水)〆切)

923

坂本法燈

寝返りす孫を見つめる柿一つ

安居去り庭に飛び交う赤とんぼ

須磨浦に鯵釣り思ふ往にしえぞ

 

坂本由美子

夕焼けに見入る孫の目そっと見る

ゆらゆらとのうぜんかずらたゆとうて

 お月さま指さす孫を抱き上げる

 

柏谷絶学

おしろいの花活けて待つ禅堂場

無花果や鳥と競いて味わいぬ

サツマイモ蒸(ふか)かせど焼けど煮れど良し

 

時女俊恵

爽やかや作務終え若き友坐る

身に入むや国勢調査母ひとり

午後五時の半額シール初秋刀魚

 

三原寿典

伽羅の香や拝み太郎も禅堂に

職人の掛け声勇む白露かな

 居士の炊く玄米粥や秋初め

 

上田月庵

あれこれと捨てた後にも虫の声

点々と土手に灯ともす曼珠沙華

四つ相撲胸のすくよな技になり

 

 

田倉明眼

早生の香のそっと入りくる夜明けかな

潮の香やコロナの夏の終わりゆく

鉦太鼓鳴らず一群曼殊沙華

 

世古みのり

初秋や風の軽さに気がつきぬ

声爽かよき出来事のあつたらし

缶を開け初物さんま食む夕げ

 

佐藤泰仁

師を偲び俳句ひねる日天高し

朝見上ぐ陽は強くして肌寒し

初冠雪樹海座布団富士の山

 

世古智常

ウーバーの飛脚や白秋より来たる

しみじみと帰省子を待つ歳になり

子に送るダンボールかな思草

 

森山凱風

秋の夜や友のメールに安んずる

枝豆の皮散らかして昼寝かな

毎年の駄作の罪を子規忌寄せ

           

920

加藤碩心

秋の蚊の刺すに任せる坐禅かな

作務止めの板木響くや秋高し

傾ぐ身に警策の飛ぶ夜半の秋

 

森山凱風

秋の夜や友のメールに安んずる

枝豆の皮散らかして昼寝かな

毎年の駄作の罪を子規忌寄せ

 

橘 雅子

浪速津の石碑巡りや西鶴忌

鬼の子は宙ぶらぶらり好みおり

床に掛く連歌の古筆虫の声

 

橘 覚雄

長き夜に無量壽経を解く法座

湿る夜の床下に聞く虫の声

けなげなる岩の裂け目に草の花

 

土井重吾

たおやかな指の先なる風の盆

朽ちて猶彩散らす百日紅

ほのぼのと蝋燭囲む野分かな

 

9月17日

 井内温雄

借り住ひ気楽にいこよ思ひ草

道案内指さす方や稲光

喉通る酒に勢ひ衣被

 

 

55回インターネット句会(2020819日(水)〆切)

819

坂本法燈

諍いを経るたび近し夏の嬬

(言い争い、口喧嘩で、ますます近づく仲。素敵な句ですね!)

ブルベリ狩り甘く切ない孫旅行

夏四度幼女は今や少女たり

 (お孫さんの成長、楽しみですね。)

 

坂本由美子

いつもならこの橋の上花火あり

(コロナのために毎年の花火大会も中止されて、残念に思う気持ちを表されたのですね。)

コロナ禍で日影にそよぐすずしさよ

コロナでもノンアル分けて飲む夕食(ユウゲ)

 (いいですね!)

 

上田月庵

雷鳴に確かめたるや梅雨の明け

(長い梅雨が、雷でやっと明けました。「確かめたるや」の切れが良いですね。)

連日が危険な暑さ身も細る

鳴き尽くしいまは仰向け油蝉

(精一杯生きた後の骸、なんとなく捨てがたく、私のベランダにも二頭)

 

世古みのり

柚子坊は知らぬ間に葉を食べつくし

(みのりさんらしい素直な優しい句です。(私は、この種類の虫が苦手です〜))

父が来て義父義母(ちちはは)が来た盆休み

ことの葉を並べ遊んで八一九(俳句)の日

(なるほど!ことの葉並べ、楽しそうですね。この日は、坪内稔典さんが、1992年に俳句の日に制定してるそうです。)

 

加藤碩信

高原の野外のバレエ星涼し

(「高原の野外のバレエ」と「星涼し」の付き具合が良いですね。)

ほととぎす森の茶房の窓明けて

森に逢ふ農婦の和顔花あざみ

(情景が思い浮かびます。メルヘンを感じる句。)

 

818

三原寿典

秋暑しひこにゃんの笑みに癒されて

(彦根に行かれたんですね。)

蝉むくろ観音堂へと続く径

(蝉の骸が、観音堂へと案内しているような)。

(おと)送る六点灯す大文字

 (今年の大文字はコロナのせいで六点でした。弟さんを見送って手を合わす姿が見えるようです。)

 

橘 雅子

警策や三打の痛み夏安居

豆皿に氷菓子分くるたづたづし

(趣のある句で、「たづたづし」が効いていますね。

中7を「氷菓子分く」としましょう。「分くる」は、連体形なので。「分く」と終止形にすると切れもできて、7音で中七がおさまり、ますます良い句になります。)

「豆皿に氷菓子分くたづたづし」

空蝉の百の亡骸他生の縁

(さすが、橘先生の句だ!と思いました。)

 

橘 覚雄

稲妻の百万ボルト割れる空

(いいですね、現代的な作風!)

蜩の耳に残りて寂し夜

 (蜩の声が、哀愁を誘いますね。「蜩の耳に残りて夜寂し」いかがでしょう。)

園飾る朝顔の花色の紙

 

柏谷絶学

大文字逢魔が刻の無言かな

(逢魔(おうま)が刻、逢魔時、かわたれ時、たそがれ時、暮れゆき、当たりがぼんやりとしている時間ですね。今年の大文字は、六点だけのちょっと淋しいものでしたが、それなりの趣がありましたね。)

三井寺や閼伽井屋の井戸法師蝉

(三井寺の閼伽井は、天智、天武、持統天皇の産湯に使われたと言われていますね。井の字が三つ入っているのもいいですね。)

ベランダの蝉の骸は一つ増え

 (内容はとても良いのですが、散文的になってしまいました。

 「ベランダの蝉の骸やまた一つ」 (切れを作ってみました。))

  

 

 

世古智常

平熱がこれほど暑いことを知る

炎天下どうしてもまだ見つからぬ

手伝えば妻の心も涼しかり

 (何を手伝って上げはったんのやろ?いい句ですね。)

 

森山凱風

秋立つや夜気落ち着いて生き返り

(今年の夏の暑さは、参りましたね。まだまだ、昼間は厳しい暑さですが、・・・)

風鈴の音色が形見分けらる

人の世にコロナ禍あれど夏盛り

(コロナ禍でも、季節はいつもどおりに過ぎて行きますね。)

 

時女俊恵

蝉の殻目あり爪あり意志もあり

肚で泣く就活生や蝉時雨

(泣き顔も見せられない就活生。たいへんですね。蝉しぐれは、思いっきり泣いているのに〜季語の使い方、成功していると思います。)

蝉鳴くや宇宙となりし小さき庭

(着眼点が、すごくいいですね。 残念なのが、「〜し」が、過去の助動詞「き」の連体形で、だいぶ前のこと、昔のことになってしまいます。このようにしてみては〜

「蝉鳴くや宇宙となりぬ小さき庭」

(「ぬ」は、完了の助動詞ですので、宇宙となってしまった!という感じになります。)

「蝉鳴きて宇宙となるや小さき庭」

(切れ字を中七の後に持ってくると、宇宙となる!ということに感動が集まります。))

 

817

土井重吾

帰省盆母はますます小さくなる 

(重悟さんが帰省されて、お母様もさぞ喜んでいらしゃったことでしょう。)  

やられても潰されはせぬ石榴の実

(強さ、根性を感じる句です。中七の後に切れがあり、実際にやられても潰されないのは、心、信念なのでしょうか。ここに柘榴の実を持ってきたところもお見事!)

橋本の遊郭絶えて鳳仙花

(橋本の遊郭の碑だけが残されましたね。鳳仙花で、上手く付いて良い句になっています。

「橋本の遊郭の絶ゆ鳳仙花」と、すれば切れができて俳句らしくなります。)

 

田倉明眼

カタカタとリボン鳴りおり藁帽子

(藁帽子の子が走ってるのか、飛びはねているのか、そのたびにカタカタとリボンが鳴っている・・・なんでもないこの描写がいいですね。また、カタカタという表現が面白いと思いました。)

赤とんぼ道の真ん中譲らざり

(この句も面白いですね。自転車で走っていて、赤蜻蛉が道の真ん中にいて動かなかったらびっくりしますね。見事にそして、ユーモラスに一瞬の出来事を捉えています。)

空き店の前に花売る終戦日

(「空き店の前に花売る」と「終戦日」の付き具合が、良いですね。

色々なことを考えさせられるような句でるように思いました。)

 

井内温雄

文音の付句をメール夜長かな

香具山の粟花抜けてあすかの湯

(素直な句で、情景が思い浮かびます。歩き疲れて、温泉に入られたのですね。スーパー銭湯のCMに使えそうな句とも言えるかも()

圓福僧堂

数息観仕切り直しや蚊の餌食

(蚊に噛まれながら、また一からの出直しですね。がんばって!

温雄さんらしくて、良い句ですね。)

 

 

 

第54回インターネット句会(7月19日締め切り)

7月19日

佐藤泰仁

ため息も一息抜けぬ夏マスク
暴れんと静かに去れや送り梅雨
庭木陰 伸びるユーカリ 脱世俗

 

橘 雅子

香つまみ母を語りし盂蘭盆会

梅雨の雷運命の曲雨戸打つ

警策の三打の響き雨安居

 

 橘 覚雄

滴りを権現さまと口すする

門前の百華眼に入る百日紅

朝食に初取り胡瓜もみて喰ふ

 

土井重悟

新内の音に誘はれて御濠端
膳据えて客を待ちたる夏座敷
路地裏に児等駆け抜けて夏祭

 

森山凱風

声かけて人まちがいのサングラス

衣更生徒のシャツの白眩し

粋がりて男もすなる日傘かな

 

田倉明眼

葦簀より透ける初夏なり空青し

鬼百合が一輪咲きて雨やめり

夏祓痛き膝にてくぐりけり

 

世故智常

小走りに追いつく妻に木槿咲く

底暗い甕が宇宙のメダカかな

蜻蛉にも生きがいがあり趣味もあり

 

世古みのり
言祝ぎを空で唱える愛逢月
あでやかに門出を祝う梅雨晴れ間
娘を送る母に重ねた七夜月
時女俊恵
一歩目を出しつ戻しつ鷗外忌
青梅雨やふるべゆらゆら鶏の鳴く
梅雨の月義父の書棚のフランクル
三原寿典
観音の手水を飾る四葩かな
瑠璃鳥の語る千年法勝寺
コロナ渦や母見舞ふ途に青時雨
柏谷絶学
老翁や亡き師と語る長楽寺
師と共に訪ねし寺も梅雨の中
西行の住し庵や梅雨濡らす

 

上田月庵

梅雨晴れ間カフェに緩やかディサフィナード

五月雨や五月雨らしく五月雨れる

息子来て話のついでに冷素麺

 

坂本法燈

南国は下から降りぬ夕立ぞ

梅雨明けど今年天神なしと聞く

みどりごに五月蠅なす神振り向くな

 

坂本由美子

ぶっ飛ばせ蝉大合唱コロナ禍を

そっと持ち蝉のなきがら地に還す

乳出よと甘酒つくるじいじかな

 

 

7月17日

加藤碩信

絽の羽織棋聖位奪ふ十七歳

梅雨深し朱色目に染む弁天堂

天女舞ふ像にずっしり梅雨かな

 

井内温雄

緑陰のゆがむ硝子や無名庵

山梔子や戻る嗅覚翁寺
給付金エアコンに消ゆ赤字かな

 

53回インターネット句会(619日締め切り)

619

坂本法燈

紫の朝顔薫る堆肥場

夏安居に突き抜け透れ葛藤の庭

人垂らし孫の笑顔よ夏の日よ

 

坂本由美子

妹生まれ泣く兄の背に汗疹でき

新緑をヘリコプターも嬉し気に

 

三原寿典

五月雨にけぶる墨絵の松林

サルビアや観覧車今頂上に

青梅雨の水輪(みなわ)の池や弁財天

 

世古智常

我を見てにやりと笑ふ青蛙

含羞草立ち上がるのをぢっと見る

さまざまなことを飲み込み入梅す

 

上田月庵

病棟のしじまの果てに亀鳴けり

赤潮の流れるがごと透析機

老鶯のひねもす続く長広舌

 

世古みのり

枝豆の真青き味に頰ゆるむ

短夜にあれやこれやと夫を待つ

年いけど子諌めし母夏つばめ

 

柏谷絶学

立葵爪先立ちの男子かな

夏燕休耕田の上に舞ふ

梅雨晴間水路の水はいそがしく

 

田倉明眼

青葉風狛犬遠き海睨む

田水入り明るき朝の始まれり

青田越し白きマスクの行きにけり

 

618

森山凱風

六月に庭木払いの清々し

七変化白き手毬の引き立ちぬ

青芝やドクダミ一掃緑活く

 

加藤碩信

カンバスは夏空ブルーインパルス

紙屑は舞はずダービー無観客

夏至の日やぐうたらの日々折り返す

 

617

井内温雄

方広寺雨安吾制中大接心

鳴き声の拈底したか不如帰

経行の堂に捕獲の蝮かな

雲水とストロベリーの更けし夜坐

 

615

橘 雅子

晨朝会僧の墨染衣がへ

こくな世もさまざまに飛ぶ夕蛍

雨戸打つ運命の如く梅雨の雷

 

 橘 覚雄

灯明に人影一つ夏の月

明日はなし諸行無常の初睡蓮

缶ビール友と乾杯オンラオン

 

 

第52回インターネット句会(令和2年5月19日 締め切り)  

今回は全国からコロナ関連の俳句を募集しております。沢山の御投句ありがとうございました。

 

人間禅総裁 佐瀬霞山

 葉桜の剣道場もウイルス禍

 

投句ありがとうございます。毎月やっておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。)

****************************

5月19日

坂本法燈 

〇笑みあふる寿司屋の兄ちゃんコロナ明け

〇席三つ空けて坐るも寿司美味し

◎臨月にコロナ打ち勝て夏来たる

 (また、お孫さんが一人増えそうですね。)

 

坂本由美子

◎咳されて後ずさりする気まずさよ

〇孫来るも抱き上げられぬ夏の日や

(辛いですね。)

→孫来るも抱き上げられぬ立夏かな

バラ咲いてコロナ想うは形似て

 

世古智常

 

◎携帯の笑顔と酒を酌む五月

 ◎号令で自粛する民麦の秋

 (日本人のいいところでしょうか?悪いところでしょうか?)

街は今金魚一匹いなくなり

 

世古みのり

◎目に見えぬごときに翻弄風五月

 (悔しいですね、サブミクロンのウィルスに。)

 ◎五月晴れ晴らしておくれこの気持

 ◎青嵐づかづかと来て大暴れ

  

橘 雅子

 ◎知らぬふり草間の陰の落し文

 どくだみの花いとおしや抜きて来し

 〇窓辺より繰り入る若葉マスク縫ふ

 (繰り込むを調べてみましたが、入り込むの方が良いかと思いました。)

  

橘 覚雄

 ◎空青し茶碗に泳ぐ鯉幟

 〇夏来る児等は路面にアンパンマン

 ◎戸を繰ればサアーと入りくる若葉風

 (光景が想像できていいですね。)

 →戸を繰ればすがすがしきや若葉風

  

加藤碩信

 ◎春満月コロナ籠りの窓明けて

 ◎飲み会もオンラインにて缶ビール

 (飲み会ではジョッキーか瓶ビール。缶ビールが、今の現状を的確に表現していますね。)

 ◎煎餅の袋に寄り来袋角

 (奈良の鹿も観光客が居なくて寂しそうですね。)

  

5月18日

 時女俊恵

 子どもの日遊べや遊べ子ら遊べ

 〇えご散るや若き力士の逝去知る

 ◎長期戦覚悟はあるかと守宮かな

 (第二波が来るかもしれません。不安ですね。)

 

井内温雄

 ◎夏立つや臨時に休む石舞台

 (石舞台もコロナには勝てませんね。)

 ◎夏来るオンラインにて坐禅かな

 山の辺の道終点

 ◎仏教の伝来の碑や風薫る

 (温雄さんの周りにはいいところがたくさんありますね。)

 

5月17日

 

森山凱風

 〇コロナ禍に子供の日にも声聞かず

 ◎人の世にコロナ禍あれど夏来たり

 (四季は、世の中の動きに関係なく移ろう。)

 コロナ禍よ止めと願いて菖蒲咲く

 

5月13日

 三原寿典

 ◎閑としたミュゼに石楠花咲き誇り

 (ミュゼが効いていますね。)

 ◎三密を逃れ鞍馬や薄暑光

 ◎校庭に生徒来ぬまま花は葉に

 (私の好きな句です。人間世界では寂しい校庭ですが、そんなこと関係なく季節はいつもと変わらずに移ろって行きますね。)

 

5月11日

 田倉明眼

 ◎春うらら祭りの渡御はなけれども

 (各地でいろいろなお祭り、催しが中止なっていますね)

 ◎所在なげ春風眺む瞳かな

 (学校が休校になって、やることがない子供たちはかわいそうですね。)

 〇かたばみの小さきは小さき実を持てり

 

5月11日

 柏谷絶学

 ◎夏安居の如き在宅勤務かな

 (こもりっきりで、独りで実りあるお仕事をされたことでしょう。)

 ◎人消えて芍薬塀を越えて咲く

 ◎時だけが静かにながれ著莪の花

 

5月10日

 上田月庵

 ◎ウイルス禍峠は見えず春時雨

 (今やっと峠を越え、終息がが見えてきましたね。)

 ◎柔らかになほやはらかに若葉雨

 ◎入院の宣告受けし五月晴れ

 (お躰大事にしてください。また、細道会でお会いするのを楽しみにしています。)

 

5月8日

 土井重悟

 ◎幼き日手に怖々の五月雛

 (記憶の中の人形は、幼き子供の心にいつまでも残るものですね。

   五月人形と五月雛の違いがちょっとわかりませんでした)

 青葉食む毛虫生きとし生けるもの

 〇緑陰の微笑覚ます羽音かな

(難しい句ですね。説明文が必要かもしれません。)

  

第51回インターネット句会(2020年4月19日〆切)
4月19日

佐藤泰仁

○末娘ネットに向かい入社式
◎窓越しに溜息一つ花吹雪
(外に出られない今と、花吹雪の組み合わせがいいですね)
 我が心洗い流せよ春時雨

坂本法燈

 王冠に桜も驚く閑静さ
○人の消えせせらぎ匂う桜道
◎天覆う夜桜に酔う城ほとり
(大阪城の桜綺麗ですね、また行きたいです。)

坂本由美子

○コロナだけ大手を振って歩いてる
(コロナだけ大手を振って歩く春   としてみました。)
 公園でコロナに負けず子ら走る
(春風やコロナに負けず走る子ら  とすれば季語が入りますね。)
◎年とると来年桜見れるかな
 (来年は、今年よりももっとすばらしい桜がみられるはず!)

世古智常

 春街道歩きて江戸を目指しけり
○満天星の花に強気を垣間見る
◎馬酔木揺れ父が肩貸す一輪車
(情景が思い浮かびます。一輪車、がんばって!)

三原寿典

◎嫋やかや近衛邸跡糸桜
 (御所の北側の桜、毎年綺麗ですね。)
◎花万朶比叡裾野に色を添へ
○花盛り露店禁止の看板が

世古みのり

◎人々の足早々と春かなし
(本当にそうですね今年の春は、浮かれると言うことがないですね。)
◎朧月ふれず語らず夜を照らす
(誰もいない所にも月は照らしていますね。)
◎腹案がコロコロころぶコロナ春
(擬態語の使い方が上手いです。アイロニーが効いていいですね。)

柏谷絶学

 満開の花も寂しやウィルス禍
◎鰊蕎麦我も道産子京の春
(鰊は春の季語ですが、鰊蕎麦は季語にはなりません。絶学さんは、京都人とばっかり思ってましたが・・・)
◎唐橋や急がば回れ湖の春
(コロナの自粛については、急いで解かれても又広がってしまうかも~急いではいけませんね。)

橘 雅子

○垂るるや黄山吹と旅箪笥
(枝垂るるや、の書き方もありますね。)
◎百五歳母へ玄孫と花便り
(長生きのお母さん、さらに長寿をお祈りいたします。)
 畝作り腰はくの字で胡瓜植ゆ  

橘 覚雄

 我が庭の朽ちつ老木花満開
○ステンドに光彩和し麗かに
◎紋白蝶片羽根失せて我が肩に
(優しい人が分かるのですね。怪我は良くなったでしょうか。)

上田月庵

◎春嵐今朝も変わらぬ一炷かな
(嵐が来ても動ぜぬ一炷香さすがです。)
◎春愁や傘寿で分かれるトリアージ
(トリアージ、今我々が直面している難題、皆で力を合わせて乗り越えましょう。)
○春雨や一雨ごとに柔かき

4月18日
時女俊恵

◎コロナ禍に静まる街や猫の恋
(静まる街の中で、猫は声が際立ちますね。)
 ステイホーム難解折紙春朧
◎独り居の母よ踏ん張れ鼓草
(私の母も一人で、頑張っています。とくに今は誰も訪ねられません。)

加藤碩信

◎龍天に昇りてコロナ暴れたる
(雲を起こし雨を呼ぶ!今度はコロナまでも!でしょうか。)
◎花疲れ三好達治の詩集閉づ
(この句の境地、なかなか私どもには、、、)
◎春暁や覚むにはまだ惜しき夢

土井重悟

降りられずニャーと子猫の軒の上
◎だいこんの花摘む妻の指細く
(連句の恋句になりますね。)
◎空き缶の浮く川蜷が泥を吐く

森山凱風

 春の雲風に飛ばされ青い空
○桜餅葉の塩加減味千両
(葉の塩加減も大切ですね。私も葉までいただきます。)
◎白木蓮角隠しとは似て非なる
(白木蓮は優しいから、角を隠さなくてもいいかもしれませんね。)

井内温雄

◎葉桜や大和三山ひと巡り
 コロナ禍や甘樫の丘登り来て
◎飛鳥川大堰うねる花の屑
(春の終わり頃もまた良さそうですね。訪ねて見たいものです。膝は大丈夫ですか。)

第50回インターネット句会(令和2年3月22日 〆切)
3月22日

坂本法燈

夫婦鴨なくてはならぬ絆あり

春日落ち夕闇迫る大川端(ハタ)

鴨散りて水面に憩う黄昏ぞ

 

坂本由美子

春雨をもらい膨らむつぼみかな

桜待つこの時期だけは空見上げ

さびしいなみかんの終わり近づいて

 

田倉明眼

ミモザ揺る遥かに海の光りおり

呼ばわれば孫はいくるや春の風

舟後に鴎浮かべり春の海

 

世古みのり

私似の干し方並ぶ里うらら

コロナの春要するにこれ戒めか

大いなる春の国乱到来す

 

世古智常

暖かや妻の手作りマスクかな

春登山木漏れ日まといこんにちは

歯の銀の取れて小さく山笑ふ

 

森山凱風

春めきて川の魚魚飛び跳ねる

黒土が陽光誘う春来たる

飛火野や雌鹿毛落とす春来たる

 

佐藤泰仁

コロナ禍に動ぜず凛と春の富士

暗闇を照らすや辛夷遊歩道

蹴散らせやコロナに花粉春一番

柏谷絶学

初花や百まで生きると米寿母

沈丁花香りで誘ふ御土居かな

成仏を幸せと読みうららけし

3月19日
橘 雅子

一杓に左手清めし水温む

土塊に蚯蚓二匹鍬の先

長閑なり乳をまさぐる稚の指

 

橘 覚雄

長谷寺の赤き炎か牡丹の芽

四天王寺響く読経の涅槃会

啓蟄や壁の内からギターの音

 

上田月庵

紅梅の香りは写らぬスマホかな

話しつつ土筆摘みつつ母娘連れ

春風や運ばれ来たるイエスタデイ

 

時女俊恵

菜の花や休校中の通学路

常磐線全線開通山笑う

今になり父と呑みたし蛍烏賊

 

三原寿典

利休忌や一輪活けを草庵に

別れ霜昔の恋を忘れかね

孕み鹿慈雨に濡れゆく春日山

 

井内温雄

歓喜なり甘樫丘風光る

草臥れの翁の句碑や風光る

膝金具抜きて退院風光る

 

加藤碩信

春の川のたりと回る水車かな

老い二人籠りゐる午後春の雪

地球とふいのちの器水温む

3月1日
森田さとみ

成す事を己と世に問ふ流し雛

大臣の育休いずこ宰の一声(季なし)

︎難事塞翁が馬ならん流し雛

 

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